2007-12-13

中間発表



・卒業設計を始めるにあたって
私は、近代建築発生以降、建築は大きく変わっていないと考える。
今もなお、近代建築の空間を今日的に美しい感じるのは、現代建築の停滞を意味しているのではないか?と問題定義をし、建築に新たな一歩を踏ませることを、私は卒業設計の課題としたいと考える。

・コンセプト
建築は建築の共通言語というものに支配されている。
共通言語とは例えば、スタイロフォームによる模型や、「・」を同じ直径でつるっとした円筒形の柱、「-」をつるっとした直線壁と読みとる図面などを指している。
そこで、共通言語からの建築の解放を行うことで、建築は新たなプロセスを踏むと考えた。
私は図面に着目し、建築が常に図面に束縛されていると感じた。
頭の中のイメージを線によって可視化するとき、
3次元的に広がる建築空間の全体的解釈を行うとき
他者と空間のコミュニケーションを行うとき
常に図面というフィルターを通って可視化されると考えたからである。
そこで、私は紙とペンをマストとはさみに持ち替え、空間を描く実験を行った。
これをコンセプトダイアグラムとし、線ではないもので空間を表現しようと考え、スタディを重ね、建築を自然発生的に生み出すことを考えた。
これは、+でも-でもないヴォリュームの作り方であり、これまでにない空間が創出されると考える。







2007-11-18

断面図の記号性

私の言う断面図の記号性とは、図面本来の性質である記号という性質以外に、現代建築の断面図が持っているマスコット的記号性とでも言うべき性質もふまえている。
現代建築の断面図が持つマスコット的記号とは、いわば、建築の断面図をイメージしてくださいと言われたときに思いつくそれであるのだが、詳しく述べると、横に伸びるラインが水平の並び、それを繋ぐように縦に伸びるラインが描かれたものを見たとき、人はそれを建築の断面図に見えてしまうということだ。
そう、あたかも建築の断面図はコレしかないとでも言うように、みながおそらくビルの断面図や下図のような水平ラインと垂直ラインを思い描いたと思うのだ。

断面図の図柄が、”ミッキーマウス=白黒の顔のネズミ”のような、まるでマスコットのようになっているのだ。
断面図の記号性は、建築が相変わらずスラブと柱に影響されている事を意味している。このように考えると、SCI_Arcのように、図面ではない新しいツールとしてコンピューターを使い、スラブや柱に支配されていないアルゴリズム的建築法は、1つの新しい建築の形を表しているのかもしれない。
しかし、これからアルゴリズム的建築法を学ぶには、時間が足りないので、私はある方法を用いることにした。”図面”ではなく”画面(仮称)”を描く。
”図面”は線による。”画面(仮称)”は面によるのだ。
実験はまた次の機会に発表しようと考えています。
建築をル・コルビュジエから解法し、新しい建築へと導くために行っているこの卒業設計は、ある種最も大事な場面に出くわしている気がする。建築の図面の支配性から断面図の記号性へとすすみ、これから”画面(仮称)”という新しい表現方法を編み出して行かなければならない。
僕の運動はまだまだ遠い。

2007-11-07

線ではない表現

線ではない表現と言われて、何の事やらさっぱりであると思う。
この考えを述べるのは、非常に感覚的、いや非可視的で共有しづらいため、背景をづらづらと書きたてることで、それが少しでも可能となればと考えている。

初めに、建築家にとって図面とはいかなるモノなのかを考えた。
建築は、絵画や映画と違って、3次元的に広がっていくものであり、全体的な解釈を行うことが非常に困難な性質を持つ。また、それは他者との情報の共有を困難にすることも意味する。
図面は、そのような性質を補い、そして、空間を操作し、組み替えていくという重要な役割を持っている。
そもそも、建築家は、頭の中のイメージを図面として描くことで、そのものの全体的な解釈を行っていると思う。
しかし、これは言い換えれば、建築が発想され可視化されるときに、必ず図面というフィルターを通してでしか出現しないということが言えると考えた。
暴力的に表現すると、建築は図面に支配されているということだ。
このことを考えたとき、建築は図面から解放させると、必ず変わると閃いた。
そこで、私は3つの実験を行った。
1.図面は通常、線を足すことで表現され描かれていくという性質を再考し、図面を抜いていくことで表現することは出来ないかと考えた。
これは、カンパスをナイフで切り裂き、張力によってそこに隙間が生まれていくということを行った。
この時、図面は今と同じように認識されるのだろうか。


2.図面は、基本的に紙とペンで描かれる。
私は、張力を持ったマストに描けないのだろうかと考えた。それは、自ずとペンははさみに持ち変わることを意味する。
実験が行いやすいように、そして近代建築の象徴として、バルセロナパヴィリオンをマストとはさみで描いた。はさみを入れた途端、張力のある方へと広げられる。この時、図面は今と同じように認識されるのだろうか。


3.西洋建築の図面は、図式ではなく絵画であった。「・」は少し半径の違う装飾を持った柱を意味し、また陰影は色濃く図面に表現された。しかし、現代建築の図面は、誰が言ったわけでもなく、「・」は同じ半径でつるっとした円筒型の柱を意味する。それは、非常に図式的だ。
私は、筆で図面を描いた。またもバルセロナパヴィリオンである。1本の線は、豊かに膨れ、くびれを持ち陰影を作る。この時、図面は今と同じように認識されるのだろうか。

3つの実験を行った後、私は、ふと考えた。
この3つの実験は、どれも線で空間を表現しようとしていないということだ。
線ではない何か、張力の方向・張力の強さ・筆の太さ・絵の具の含み具合などが、あきらかに今、空間を表現しようとしている。
線ではない表現で、建築は我々の前に立ち現れるのだろうか?
そして、ル・コルビュジエから解法され、より良い空間となるのだろうか?
私の運動は続く。

2007-10-26

空間が建築へ向かう

前投稿において、卒業設計の基本的な説明を行いましたが、今ひとつ自分の課題でありながら理解できていない部分があるのが事実です。
それは、ル・コルビュジエから建築を解放するために、設計者の決定権をある種、断絶させるような手法で空間を作るというような試みを取っているのですが、はたして、そのようにして生まれた空間がどのように建築へ向かうのかといった点です。
私は、空間から建築へ向かうということの持つ意味は、設計者の経験的知識や感覚、試行錯誤によって見つけるネットワーク(沢山の意味での)、より詳細な図面への落とし込み、現場での不具合、等々による空間の研磨(良しとするところまで磨きあげる意味で)が建築へと向かわせると考えます。
しかし、前文で述べた手法では、この行為を行う事が出来ないように思えるのです。なぜなら、設計者の決定権を断絶してしまっているからです。これでは、空間を研磨することは出来ないということになります。
選択は、実に簡単です。それを良しと考え、空間のまま提案し、新しい空間・コルビュジエからの建築の解放のみを提示してしまうか、それとも新たに研磨をする方法を考え、新しい空間から建築へと完成させ、しっかりと提示するのか。
もちろん、後者の方が格好良く胸を張って提示出来るでしょうが、はたして物理的に可能なのかという問題があります。”言うは易く行うは難し”です。

2007-10-23

Le Corbusier and Modern architecture



This subject is a theme of my thesis.
Le Corbusier designed Villa Savoye about eighty years ago.
He had his personal technique about architecture at this building.
And at the present time, his technique always is used by architect.
This is fear.
Modern architecture is that it is control by him.
Therefore I make new architecture.
It doesn't belong to his architecture value.
This is important movement for modern architecture.

Architecture have common tools of communication.
For example: "models with styrofoam" and "drawings with line" etc..
I'll reconsider them.
The reason is because "Architecture always is decided by architect. It is very sense. And our sense is control by Le Corbusier.".

Fainally, I make my thesis as "our problem".
It is never "answer".

ル・コルビュジエと現代建築












何を隠そう、この主題は私の卒業設計のテーマです。
というのも、私は、ル・コルビュジエがサヴォア邸を発表してから、約80年経った今でなお、彼の手法や空間と空間のネットワーク、空間と外部のネットワーク、動線と空間のネットワーク、機能と空間のネットワーク、どれを見ても今日的に美しいという恐怖を覚えました。
わかりやすく言えば、ル・コルビュジエの空間価値は非常に今日的であり、建築の核であるということです。現代建築は、どれほどの画期的な空間を生み出して来たのでしょうか。建築は停滞することが許されません。常に革新的で、美しい空間を生み出していかなければならないのです。
しかし、現代建築家は誰1人として、革新的な空間を生み出したとは思えません。もちろん画期的なアイデアを持った空間は沢山あり、すばらしい作品は沢山あります。ただ、革新的な空間というとそれは次元の違う話になってしまうのです。
そこで、私は卒業設計という大きなステップにこの題材を選びました。つま先だけでも良いので、ル・コルビュジエの作り出した空間価値から前へ出ようという運動を起こそうとしています。

建築には共通言語というものが存在します。例えば、スチレンボードやスタイロフォームによって作られた模型や線を足す事によって作られた図面などがそうです。私は、この共通言語を考え直すことによって、建築を作ろうと考えています。詳しくは、図面に注目し、例えば、抜いていくようにして描かれていく図面というものを考えました。カンパスをナイフで切り裂き、張力によって空間が生まれるという実験です。このようにして、建築の持つ感覚的特徴(建築を作る上で決定して行かなくてはならないことが沢山あるが、その決定権は常に自分であり、その決定は常に感覚的である)を無くし、何かによって作られていくという方法を行おうとしています。その理由は、私の持つ空間価値はル・コルビュジエによって作られた空間価値に支配されているからです。

ル・コルビュジエの時代とは、大きく異なる現在では、ネット・ケータイによる社会の影響力はすさまじい。この事柄を抜きにして、建築を構築することはもはや不可能である。私は、いかなる見解を持つ事が出来るのか、これからわくわくしている。折しも、ケータイ空間というコンペティションには優れた見解が沢山載っている。是非参考にしていきたい。

最後に、私は卒業設計を「答え」ではなく、「問い」として制作していくつもりです。

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新しいブログを開設しました。
このブログではよりハードな建築に対する見解を掲載していこうと考えています。
是非、覗いてください。