2008-05-21

新しい観点からくる装飾的建築。

 装飾性の高い建築が増えている。
その要因はさまざまであるだろうが、建築は、一時代を築いたミニマリズム、いわゆるシンプルさと機能性にウェイトをおいた手法から、新たなる動きに転じたと言えるだろう。
ヘルツォーク・アンド・ド・ムーロン(以下ド・ムーロン)は、非常に装飾的なデザインで脚光を浴びています。
彼らの建築の手法は、学生やあらゆる建築家に少なからず影響を与えていると思います。
 しかし、彼らは、おそらくこれからもこの手法を使い続けるわけではないだろうと、僕は考えています。
ド・ムーロンは、非常に営業マンで、やり手の建築家でないか?と踏んでいるのです。日本人建築家で言うと隈研吾あたりだろうか?と似ている気がするのです。流行をいち早く敏感にキャッチし、その流れを吸収し我が物にしてしまうという手法をとっていると考えているのです。
もし、本当にそうだとすると実にファッショナブルなやり方ですよね。今まで建築家は自分の唱えた理論の中で建築を展開してきましたが、彼らはじつにフレキシブルに建築と向き合っていると思います。

それで、なぜ、装飾性の高い建築の話をしているかというと、今月号の「新建築」に掲載されている石上純也がデザインしたYohji YamamotoのNY店の写真を見たときに感じたことが原因です。



レンガ積みの外装の建築が、非常にソリッドな形態をもってそこに存在していたんですね。
僕の勘違いかもしれませんが、レンガ積みがソリッドな表情をもって現れている建築って無いと思うんです。非常に重厚で威厳のある表情をしていると思います。
しかし、石上純也のこのNY店は、軽さと鋭さが一番に印象として浮かぶ建築だと思うんです。レンガ積みの外装でこの印象を与えてしまうのは、本当に新しいと思います。
 そして、話題を戻すと、この建築、非常に装飾的だと感じませんか?
ある意味ポストモダンにも近いような、素材のもつ印象と真逆な性質を建築に持たせてしまうという、その装飾性に、僕は新しさとおもしろさとこれからの可能性を感じたのです。
そして、最初に挙げたド・ムーロンもまた、ついこの前までプラダブティックなどでファサードの装飾性の高い建築をデザインしていたのに、北京の鳥の巣では、明らかに、コンクリートとあの規模からくる印象とは逆行した軽さを表現し、石上純也のNY店と似た観点の装飾的建築をデザインしている。
時代を読み、そして最先端をいく建築家たちが、また新たな観点から言える装飾的建築を創造していると僕は思った。
考え方は人それぞれなので、なんとも言えませんが、僕はこのような装飾的建築がこれから増えていくと思います。

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