某建築事務所にお世話になってもうすぐ3ヶ月。
早い。その間に、夏は秋へ移行し、祖母が亡くなった。
そして、事務所と僕の建築の方向性の違いが浮き彫りになってきた。
僕は、インフラを建築家が設定してしまうのにはどうしても抵抗がある。
土木の整理の中に建築が入りこむことと、土木をなぞって建築を設計することは
似て非なるものである。ここは後者な気がしてならない。
浅はかな僕の見解では、土木と建築の壁を無くして両者一対のモノを
設計するとなると、「住宅」というスケールで話すことが出来る領域では無い気が
している。先ほどの前者のように、土木の中に建築が溶け込むように
設計されていく中で、土木と建築のスケールの違いはかならず話されるべき
議題であり、いかように議論しようとも「住宅」というスケールで落ち着く先は
見当たらない。
結果、後者のようになぞりながら設計していく結論となり、暴力的に決定された
インフラのもと、建築が自由に構築されることになる。
これは、都市と建築が結び合う話のように思えて、実は非常に暴力的に
配置されている。僕はどちらというと、インフラを読み解きながら
「建築をそっと据える」くらいのニュアンスが良いと思っている。
卒業設計の段階から、僕は地球と建築の対話を考えてみている。
地球が作ったそのままの大地に建築をそっと据える。なんだか気持ちよい。
そして、人があまり手を加えていないありのままの大地というのは
「秘境」「辺境」と呼ばれ、圧倒的スケール感で存在している。
ここから、話は一機に安っぽくなって(前々から安っぽいが・・)、
秘境・辺境にこそ土地はあるというか可能性があるんじゃないかと
直感的に感じている。
ビル街に建つ建築と、大自然に建つ建築の圧倒的な違いは、
周知のさたであり、大自然に建っている建築の方が、あきらかにかっこいい。
もともと通例の建築家になろうとは思っていなかったが、
ここ最近「秘境・辺境建築家」というジャンルを作ってみても良いかなと
思い始めた。建てるだけじゃないでしょう、発展途上国への協力や
ユートピアの設立、環境保全との兼ね合い、
地球との本当の対話のもとに成立する建築家の模索・・・・
なんかかっこいいなぁ。。
ブータンの伝統住居という本が出たらしい。
ちょっと読んで勉強したい。たぶん僕のやりたいことと通じるものがあるだろう。
早い。その間に、夏は秋へ移行し、祖母が亡くなった。
そして、事務所と僕の建築の方向性の違いが浮き彫りになってきた。
僕は、インフラを建築家が設定してしまうのにはどうしても抵抗がある。
土木の整理の中に建築が入りこむことと、土木をなぞって建築を設計することは
似て非なるものである。ここは後者な気がしてならない。
浅はかな僕の見解では、土木と建築の壁を無くして両者一対のモノを
設計するとなると、「住宅」というスケールで話すことが出来る領域では無い気が
している。先ほどの前者のように、土木の中に建築が溶け込むように
設計されていく中で、土木と建築のスケールの違いはかならず話されるべき
議題であり、いかように議論しようとも「住宅」というスケールで落ち着く先は
見当たらない。
結果、後者のようになぞりながら設計していく結論となり、暴力的に決定された
インフラのもと、建築が自由に構築されることになる。
これは、都市と建築が結び合う話のように思えて、実は非常に暴力的に
配置されている。僕はどちらというと、インフラを読み解きながら
「建築をそっと据える」くらいのニュアンスが良いと思っている。
卒業設計の段階から、僕は地球と建築の対話を考えてみている。
地球が作ったそのままの大地に建築をそっと据える。なんだか気持ちよい。
そして、人があまり手を加えていないありのままの大地というのは
「秘境」「辺境」と呼ばれ、圧倒的スケール感で存在している。
ここから、話は一機に安っぽくなって(前々から安っぽいが・・)、
秘境・辺境にこそ土地はあるというか可能性があるんじゃないかと
直感的に感じている。
ビル街に建つ建築と、大自然に建つ建築の圧倒的な違いは、
周知のさたであり、大自然に建っている建築の方が、あきらかにかっこいい。
もともと通例の建築家になろうとは思っていなかったが、
ここ最近「秘境・辺境建築家」というジャンルを作ってみても良いかなと
思い始めた。建てるだけじゃないでしょう、発展途上国への協力や
ユートピアの設立、環境保全との兼ね合い、
地球との本当の対話のもとに成立する建築家の模索・・・・
なんかかっこいいなぁ。。
ブータンの伝統住居という本が出たらしい。
ちょっと読んで勉強したい。たぶん僕のやりたいことと通じるものがあるだろう。
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